ボブ・マーリーになど代表されるレゲエは、今や世界的に認知され人気の高い音楽ジャンルです。
レゲエ(reggae)は、1960年代の後半からジャマイカで発展した音楽ジャンルです。
一般的には、リズムギターまたはキーボードが、バックビート(裏打ち)と言われる2、4拍にアクセントを置いて演奏される特徴のあるリズムの形式によって、レゲエと分類されている。だが、より厳密には、レゲエをより特徴づけているのはその裏打ちではなく、むしろドラムとベースが作る独特のリズムの形式である。
レゲエといえば一番有名なボブ・マーリーの世界的なヒットを経て、レゲエのリズム様式は、ヨーロッパや、アフリカ、アジアなど世界中のポップ音楽の分野で、よく演奏されるようになった。さらに、ジャズ、ロック、ヒップホップなどの違うジャンルとの融合も多く見られるが、それらは特にレゲエとは呼ばれずに、クロスオーバーと言われている。
レゲエは反抗の音楽であるといわれる場合がある。その理由は反社会・反政治的な歌詞が多く歌われている空である。これはラスタファリアニズムの影響によるが、全てのレゲエ・アーティストがラスタ(ラスタファリアン)というわけではない。実際の歌詞はコミカルなもの、ブルース、恋愛、人生の悲哀など幅広い。レゲエはジャマイカの不良の音楽でもあり、ルードボーイ、ラガマフィン、ギャングスタ、バッドマンなど不良を意味する歌詞が多く歌われる。その一方では、不良たちの暴力を否定する歌詞も多く歌われる。ルードボーイとラスタは必ずしも対立するわけではなく、実際には多くのアーティストがラスタであったり同時にルードボーイでもある。
本名: Robert Nesta Marley (1945年2月6日〜1981年5月11日 )
ボブ・マーリーはレゲエ音楽のシンガー&ソング・ライター、またはギター奏者としてレゲエを世界的なものへと確立した。 彼は忠実なラスタファリ信仰者としても知られており、多くの人々はは未だにに彼を預言者と呼んでいる。1964年にスタジオ・ワン(Studio One)から発売された「シマー・ダウン(Simmer Down)」がチャートランク入りし、ボブ・マーリーは一躍スターとなる。1966年、ボブ・マーリーは髪をドレッドにして、ラスタ運動の一員となった。そのあとも数々のヒットを記録するが、1974年ザ・ウェイラーズ(The Wailers)はそれぞれのソロ活動のために解散した。
その後もボブは「ボブ・マーリー・アンド・ザ・ウェイラーズ(Bob Marley, The Wailers)」という名で、新しいメンバーと音楽活動を開始し、1975年「ノー・ウーマン、ノー・クライ(No Woman No Cry)」で世界的ヒットを記録、国際的快挙を成し遂げ、世界初の国際的レゲエスターとなった。1980年まで数々のリリースを続けるが、1981年にガンに倒れ、36歳の若さで他界する。 その死後もボブ・マーリーの伝説が語り継がれている今日、ボブ・マーリーはジャマイカが生んだ20世紀最大のレゲエ・アーティストと言えるだろう。
サード・ワールド(Third World)は、1973年に結成されたあのインナー・サークル(Inner Circle)を母体とするバンドである。世界的な活動で成功を収め、今現在も精力的にライブ活動などを行っている。バッド・ボーイ・トークやガン・トーク、スラックネス中心のダンスホールのリリックとは一線を画し、常にルーツ&カルチャーを大切にするスタイルで人種性別を問わず多くのファンを獲得している。
グループ名の由来は、結成された1973年はジャマイカ国内の政治的転換期でもあり、第三世界の問題などが現れてきていた時期で、その事をテーマとして捕らえるべく命名された。
インナー・サークル(Inner Circle)には、ヴォーカリストとして、ジェイコブ・ミラー(Jacob Miller)が在籍していた事は有名な話である。結成からジャマイカ国内で活動いた彼等はしばらくして、ジェフリー・チャン(Geffrey Chung)のプロデュースで最初の作品をリリースする。しかし実質的なデビューは、イギリスのアイランド(Island)レーベルからリリースされた『Third World』というアルバムだった。 あのボブ・マーリー(Bob Marley)の伝説的ライブを収録した'Live'の前座を努めていた所をクリス・ブラックウェル(Chris Blackwell)にスカウトされ、アイランド(Island)と契約。そこから一気に活動範囲をヨーロッパ全土へと広げていった。
グループは何回かのメンバー・チェンジを経て現在に至っている。当時のヴォーカリストはバニー・ラグス(Bunny Ruggs)ではなくミルトン・プリリー・ハミルトン(Milton 'Prilly' Hamilton)であった。彼もまた先のインナー・サークル(Inner Circle)のヴォーカルを努めた事もあった。 サードワールドは、常に世界的市場を意識していたが、その為に「本当の」レゲエを理解すると自負する人たちの目には本物のレゲエとしては写らなかった。スティーブン・キャット・クーアが前副大統領デイビッド・クーアの息子であるという事も多少は影響がているかもしれない。
代表作であるセカンド・アルバム'96 Degrees In The Shade'や81年の作品'Roots With Quality'等は、質の高いヴォーカルとバンドの高い音楽性、そして彼が本物のルーツ&カルチャーを幅広い層に訴える重要な役割を果たしていたことが伝わってくるのだ。アイランド(Island)にて通算6枚のアルバムをリリースし、次にCBSと契約。これがきっかけとなりサードワールドは更に国際的な知名度を得て、アメリカや日本での活動へとその音楽活動の範囲を広げていった。